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供養の本質:生者と死者が共に救われる道


1. はじめに:寺で育った少年の疑問

幼少期、私は蓮城院というお寺で生まれ育ちました。週末になると本堂からお経の声が聞こえてくる、そんな環境の中で過ごしていました。小さい頃、本堂の様子を覗き見たときに、供養の光景に不思議さを感じたことを今でも鮮明に覚えています。

本堂には故人の写真が飾られ、その前には花や供物が供えられていました。そして、参拝者たちがその写真に向かって手を合わせ、焼香する姿。そこには誰もいないのに、まるで目の前に人がいるかのように振る舞う大人たちの行動が、当時の私には理解できませんでした。

2. 供養の意味:祖父からの教え

この不思議な光景について、私は当時の住職であった祖父に尋ねてみました。「供養って何のためにやるの?」という素朴な疑問に、祖父は次のように答えてくれたのです。

「存亡を共に救われるためにやるんだよ」

難しい言葉だったので、祖父は丁寧に説明してくれました。「存」は存在の「存」、つまり生きている私たちのこと。「亡」は亡くなるという字で、既に亡くなった方々のこと。生きている私たちと、亡くなった大切な人やご先祖さまが、共に救われるという意味だと教えてくれたのです。

3. 「供養」の文字が示すもの

祖父はさらに、「供養」という漢字の成り立ちについても教えてくれました。「供」の字は人偏に「共」と書きます。そして「養」は養うという意味です。つまり、「人と共に養う」という意味が込められているのです。

生きている私たちと亡くなった方々が一緒に養われる、心が養われる、すなわち救われる。だからこそ「供養」と呼ぶのだと祖父は熱心に説明してくれました。

子供の私にとって、亡くなった人に対して食べ物を供えたり、手を合わせたりする行為は理解できました。しかし、その逆、つまり亡くなった人が私たち生きている者を養うという概念は、当時の私には理解が難しかったのです。

4. 永平寺での修行と葛藤

その後、私は成長し、修行のため永平寺に入ることになりました。永平寺は厳しい修行で知られる場所です。修行に入って最初に言われたのは、「修行は決して中断してはならない」ということでした。どんな事情があっても、修行を途中で止めてはいけないという厳しい規律がありました。

ある日、私におばあちゃんの訃報が届きました。おばあちゃんに手を合わせたい、感謝の言葉を伝えたいという思いに駆られましたが、永平寺の規律を守るため、修行を続けることを選びました。自分を納得させるため、「ここで一生懸命修行することこそが、おばあちゃんへの最高の供養になるはずだ」と言い聞かせました。

しかし、心の奥底では何か引っかかるものがありました。そんな複雑な思いを抱えながら修行を続け、一段落ついた後、ようやくお寺に戻ることができました。

5. おばあちゃんへの供養:気づきの瞬間

お寺に戻って最初に行ったのは、おばあちゃんの供養でした。永平寺で学んだ教えを活かしながら、一人で丁寧に供養の儀式を行いました。

供養をしている間、私はおばあちゃんとの思い出を次々と思い出しました。小学生の頃、友達と遅くまで遊んで真っ暗になって帰ってきたとき、心配して門のところで待っていてくれたこと。学校から帰ると必ずお菓子を用意してくれていたこと。そんな些細だけれど温かい思い出が、胸に込み上げてきました。

その瞬間、私は大切なことに気づいたのです。既に私は、おばあちゃんから数え切れないほどの愛情と思いやりを受け取っていたのだと。私が供養のためにしていると思っていた行為は、実は同時に、おばあちゃんから与えられた贈り物を再確認する機会だったのです。

6. 共に救われるということ

この経験を通じて、幼い頃に祖父から聞いた言葉の意味を、初めて本当の意味で理解することができました。生きている私たちと、亡くなった方々が共に救われる、共に養われる。それが供養の本質なのだと。

私たちは、ご先祖さまや大切な人たちから受け継いだ様々なものによって、今ここに存在しています。その事実に気づき、感謝の念を持つことで、私たちの心は救われ、養われるのです。そして同時に、私たちが供養を行うことで、亡くなった方々の存在を認め、その記憶を大切にすることで、彼らもまた救われるのです。

7. 供養の現代的意義

供養は単なる伝統的な儀式ではありません。それは、私たちの人生を穏やかで豊かなものにするための大切な機会なのです。自分がどのような恩恵を受けて、どのように生きてきたのか。どのようなものを与えられ、それを自分の糧としてきたのか。そういったことを再確認し、感謝する機会なのです。

時には面倒に感じることもあるかもしれません。しかし、供養を通じて自分の人生を振り返り、今この瞬間を大切にする心を養うことができるのです。それは、結果として自分の人生をより豊かなものにしてくれるはずです。

8. おわりに:日々の生活を豊かにする供養

皆さんも、供養を行う際には、ただ形式的に行うのではなく、その意味を心に留めながら臨んでみてはいかがでしょうか。きっと、今まで以上に供養の大切さ、そして自分の人生のありがたさを感じることができるはずです。そして、それは日々の生活をより豊かで意味深いものにしてくれることでしょう。

供養は過去と現在、そして未来をつなぐ架け橋です。それは私たちに、生きることの意味と、人とのつながりの大切さを教えてくれる、かけがえのない機会なのです。

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