蓮城院の境内には、二宮金次郎(尊徳)の墓所があります。 薪を背負い本を読む姿で知られるあの偉人は、ここ真岡市桜町の地で、 荒れ果てた農村の復興に半生を捧げました。

二宮金次郎という人

二宮金次郎は天明7年(1787)、相模国栢山村——現在の神奈川県小田原市——の農家に生まれました。 少年期に両親を亡くし、傾いた家を勤倹と工夫によって自力で再興。 その手腕を見込まれて武家の財政再建を成し遂げると、 小田原藩主の命を受け、下野国桜町領の復興という大役を任されます。

桜町で確立された復興の方法は、のちに「報徳仕法」と呼ばれ全国に広がりました。 金次郎とその弟子たちが復興に関わった村々は、約600にのぼると伝えられます。 晩年は幕府に登用され、安政3年(1856)、日光今市の地で70年の生涯を閉じました。

桜町と蓮城院の縁

文政6年(1823)、金次郎は家財を処分し、家族とともに桜町へ移り住みました。 その拠点となった桜町陣屋(国指定史跡・桜町陣屋跡)は、蓮城院のすぐ近くにあります。 金次郎はこの陣屋から村々を巡り、やる気を失っていた人々とともに田畑を起こし、 荒廃していた桜町を見事によみがえらせました。

蓮城院との縁は、金次郎の娘・文子から始まります。 嘉永6年(1853)、富田高慶に嫁いでいた文子は、真岡の東郷陣屋で難産のため、 三十歳の若さで世を去りました。両親である金次郎夫妻の意向により、 文子は子とともに蓮城院に葬られたのです。

その三年後、安政3年(1856)に金次郎が今市で生涯を閉じると、亡骸は今市の如来寺に納められました。 しかし門人の横山平太——桜町陣屋の代官を務めた人物——が、 師の遺髪を捧げ持ち、娘・文子の墓のかたわらに葬りました。 蓮城院の境内に金次郎の墓所があるのは、この師弟と親子の情によります。

墓所のご参拝

金次郎とその縁者が眠るこの一画は「二宮金次郎墓域」として、真岡市の指定史跡となっています。 墓所は蓮城院の境内にあり、どなたでもお参りいただけます。 命日にあたる11月17日には、近隣の桜町二宮神社(昭和15年建立)で例大祭が営まれ、 金次郎の遺徳を偲ぶとともに、五穀豊穣への感謝が捧げられています。

あわせて、国指定史跡の桜町陣屋跡や尊徳資料館など、 金次郎の足跡をたどれる場所が周辺に残されています。 お参りの際には、ぜひ足を延ばしてみてください。

蓮城院の境内にある二宮金次郎墓域
蓮城院の境内に佇む二宮金次郎墓域(真岡市指定史跡)
道徳なき経済は犯罪であり、
経済なき道徳は寝言である
——尊徳の思想を表す言葉として、広く伝えられています
Hotoku

金次郎が生涯をかけて実践した教えは、いまを生きる私たちの道しるべでもあります。

積小為大せきしょういだい
小さな積み重ねが、やがて大きな実りとなる。捨てられた苗を育てて米一俵を得た、金次郎の逸話に由来します。
分度・推譲ぶんど・すいじょう
自らの力量を知って暮らしの限度を定め、そこから生まれた余りを、将来のため、人のために譲ること。
至誠しせい
すべての行いの根本に、まごころを置くこと。金次郎の仕事と人づき合いを貫いた姿勢です。
一円融合いちえんゆうごう
すべてのものは互いに支え合ってひとつである、という見方。例大祭の運営にも、いまなお息づいています。

副住職が、noteの連載「金曜日の金次郎」で金次郎の生涯と教えを綴っています。

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